その日の夕方に一日の出来事と感じたこと、考えたことなど思いつくままに率直に大学ノートに書いてもらいます。
それを面接の時に持参します。それをセラピストは預かり、次の面接までにコメントをつけて返します。
クライアントは、もう一冊の大学ノートにさらに日記を書き続けます。そして次の面接にコメントの入った日記を受け取り、2冊目の日記を渡します。
その治療的な意味として:
1. 悩む人に取って、その日の夕方に日記をつけるということは、その日の出来事を振り返り、みずから内省する契機となります。
2. 自分の内的及び外的な世界を言葉で切り取り、書き出すという作業はきわめて主体的な作業であります。そして書くこと自体に自分を観察し、理解し、探求し、修正し、そして成長させる力があると考えられます。
わたしたちも日記を書くことにより、次第に考えが整理され、内面的な成長に役に立つという経験を時にします。それのような側面を戦略的に用いたのが外来での日記療法です。
3. 悩む人自身が主体的に自分の不安を自分なりに克服しようとする態度を助長します。
4. 治療者との日記を通したやりとりは、通常の精神科面接、カウンセリングに匹敵します。
5. .記録として残るので大部分の人は治療者の日記のコメントを何回となく繰り返して読むことが可能となり、そこから十分時間をかけて自分を知り、その生き方の修正ができます。
6. 治療者のコメントの入った日記を保持しているということは治療者とつながっている感覚を持ちやすいことでもあります。そしてこのことが不安にさいなまれたとき、あるいは落ち込んだときに悩む人を支える力となります。
7. また心理学的に重要なことであるが、自分の悩みを悩みとして自分の内部に保持する能力を高めます。
わたしたちの生きることは矛盾に満ちています。
それを頭で観念的にその矛盾を取り除こうとするとそれ自体が生きる苦しみとなります。むしろ矛盾を矛盾として自分が引き受けることがもっとも本質的な解決です。
そのためにはそれを引き受けていくこころの器が成長しなくてはならないのです。それが日記療法では得られやすいのです。